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21世紀、どう生きる

先週の金曜日、広島市の沖合いにある、江田島旧海軍兵学校(現在の江田島術科学校) を見学してきた。
船が桟橋に着き、大地に足を踏み下ろしたとたん、眼の中に飛び込んでくる校舎。
長い歴史の重みが伝わってくる。
お目当ては、屋外に展示してある回天特攻隊の人間魚雷と、歴史資料館。人間魚雷は、想像していたよりも大きく、しかも精巧で、 船内にはびっしり機関や配管が張り巡らされていた。

次に見学した「教育参考館」には、東郷平八郎や山本五十六元帥の遺品の他、日清・日露・ 大東亜戦争時の海軍関係者の書や遺品が展示されていた。
中でも、自らを犠牲にして国のために散っていった、若き特攻隊員の展示室に入るや、その遺書を読み、血に染まった遺品を見つめているうちに、 熱いものがこみ上げてくるのを押さえきれず、深い感銘を受けた。

国を守ろうと、散っていった二千三百柱の特攻隊員の名前が壁一面に刻まれた前では、頭を垂れ、冥福を祈った。

【心と体の健康情報 - 146】
~幸せな人生を歩むために~
「二十一世紀、どう生きる」

先週広島へ行った。広島といえば皆さんもよくご存知の100円ショップ ダイソーの発祥地。 矢野博丈社長の創業時の苦労話を聴く機会を得た。
(株)大創産業は現在年商三千億円、国内に2400店舗、海外に250店舗も展開している大企業です。
約二時間の講演の中で、「今春の入社式で新入社員に伝えた三つの要点」をお話されました。矢野社長の”生き方理念” が伝わってきます。

  1. 皆さんは社会に出て、学生時代の延長でやっていけると思っているかもしれない。しかし、 世の中はそんなに甘くない。
    これからの時代は、今まで生きてきた二十世紀のようにはならない。
    厳しい世の中になることを知っておいてほしい。

    私も、社会に出るとき、学生時代の経験から、将来出世するんだ、ひとかどの人間になれると思っていたものです。 それがたった二年半で、女房子供を連れて夜逃げという、どん底を味わうことになったのです。

    そして、その半年後には、更に厳しい現実の壁にぶつかることになった。その時私は、運には見放されたが、 能力はあると思っていた。
    ところが、セールスの能力がゼロに近い自分がいた。人に物を売ることが出来ないのです。
    社会に出てたった三年で、「運」も「能力」もない自分に思い知らされたのです。

  2. あなた方が子供のころ過ごした二十世紀は、幸せ多い時代でした。
    それは、もう過去のものなのです。
    二十一世紀は 「苦しさを乗り越えていく中に、楽しさがある」
    そんな時代になります。
    致知出版社の二十五周年記念で、五木浩之先生が講演されました。
    その中の言葉です。
    「苦しさと楽しさは一対である」「悲しさと幸せも一対である」
    二十世紀の日本人は、「楽しさ」と「幸せ」 ばかりを訴求して、人間が枯れてしまった。涙を流さなくなった。
    良い日本人というものが無くなってしまった。

    ところで、人生で最も美しいものは「一条の光」である。 真っ暗闇の中に射し込む一条の光、こんな美しいものはない。
    「今の時代、この一条の光を見ることのできる人は少なくなった」
    五木浩之氏が、戦地から引き揚げてくるときの苦難・苦痛・厳しさ・悲しさ・辛さの中から味わった一条の光…。

    私たちは、五百条・千条の光を、当たり前のように受けて育ってきた。
    二十世紀はそうだったかもしれない。けれども二十一世紀はそうではない。
    二十一世紀という世紀は厳しい世紀である。
    苦しさの中を乗り越えてこそ、楽しさを見つけることができる世紀なのです。

  3. 「生きる」ということはそんなに簡単なことではない。
    江戸時代の農家。もし二人以上の子供が生まれたら、食べさせることが出来ない。厳しい生活環境の中、 子沢山では一家が飢え死にしてしまう。
    授かった子供を幸せに育てる自信がない。そこで間引く、殺す。
    その子にとって生きていることよりも、死んだ方が幸せと思うから、殺すのです。 

    私の母は、上海から引き上げてくるとき、冬の上海の浜辺に腰まで浸かって、当事お腹の中にいた私を流産して、 砂浜に埋めようとした。
    しかし、幸いにも、流すことがでず、私はこの世に生まれてきた。
    こんな世の中に生まれてくるのはかわいそうだ、生まれてきても、幸せの薄い子になると思った。当時の状況から見て、 お腹の子が生まれてくるのが幸せか、死ぬことが幸せかを考えたとき、死なせてやることの方が、 この子にとって幸せと思ったという。

    「スタートが大切なのではなくて、成し遂げていく、努力し続けるところに価値観がある」
    この世に生を受けたスタートの日、 誕生の日を喜び祝うのもいい。しかし、生を受けた後、努力して、人生の幸せを手にした時にこそ、 喜び祝うべきではないでしょうか。

    「生きる」とは、そんなに簡単なことではありません。二十世紀、大多数の日本人は幸せを手にすることができた。 それはたまたま、そんな良い時代にめぐり合わせただけなのです。
    今までの皆さんは、それほど努力しなくても、幸せでいられた。その錯覚に気づかなければならない。これから、 二十一世紀を生きていく皆さんは、一生懸命働いて、苦労して、自らの手で幸せをつかんでいく。努力をしなければ、 幸せを手にすることが出来ない時代になるのです。

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