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与えられた環境に順応する能力

■明日14日はバレンタインデー。
この日にチヨコレートを送る習慣は、1960年ごろに始まり、70年代にかけて急速に広まったという。こういった風習は、 12月24日のクリスマスにケーキを買って来て、家族そろって食べるのと同様、戦後新しく芽生えた庶民の文化である。

日本の庶民はこういった外来文化を、商業ベースに乗せられていると知りながら、日常生活の中になんなく取り込んでしまう。 現在の先進日本のエネルギー元は、こういった異国文化を取り込むことへの寛容性にあるようです。

【吉村外喜雄のなんだかんだ 第18号】
~日本人のアイデンティティー~
「与えられた環境に順応する能力」

毎日報道されるイラクの状況は、今から六十年前に戦争に破れ、アメリカから進駐軍が乗り込んできて、統治と治安、 改革に取り組んだ、当時の日本と何ら変わりがないように思える。
終戦のどん底状態の庶民の生活を救ってくれたのは、戦勝国アメリカからの援助物資だったと思う。食料品、衣料品、 医薬品などが配られた。

我が家にも、缶詰や乾パン、小麦粉などが配られたことを記憶している。 直径20cmはあろうかという大きなピーナツバターの缶詰や、乾燥貝柱。あの舌にとろけるような美味しさは、 決して忘れたりはしない。

戦時中は、あれほど鬼畜米英と、竹やりを突く訓練をしていた日本人が、敗戦となり、 にっくきアメリカ人に反抗するかと思いきや、わずかの期間にそんな罪悪感など跡形もなく消えてしまった。
進駐軍の兵隊さんが、子ども達にチューインガムやチョコレートをくれるというので、ジープの後を、子ども達が追っていく。

環境の変化に合わせて、丸にでも四角にでも順応する日本人。過ぎ去った過去に引きずられることもなく、現状を受け入れ、 なんなく取り込んでしまう能力は、日本人にしかないアイデンティティーでしょうか。
真珠湾や、南京事件をいつまでも忘れようとしないアメリカや、中国の人。このしつこさを思うと、 過去のわだかまりを直ぐ忘れてしまう日本人。何と淡泊なことか。
日本人のあきらめの早さは、士農工商、江戸三百年の歴史の中で培われたものだろうか? NHKの「新撰組」で、 母親が養子の”勇”に向かって、「武士になろうなどと思うな! 百姓の子は生涯百姓。武士になったつもりでも、 百姓からは逃れられない」と…。

農耕で生きてきた日本人は、日照りや冷害、台風や洪水、地震など、突然襲ってくる天変地変で、 それまで積み上げてきた苦労が、一夜で崩れ去ってしまうことがしょっ中。怒りをぶつけるところなどどこにもない。狭い国土、 土地を離れて他所へ移り住むこともままならない。農民であることから逃れることはできない。 悲しみにくれていても仕方がない。現実に起きてしまったことは仕方がない。又、 一からもくもくと体を動かしてやり直すしかない!

オイルショック、円高、自由化と、戦後何度も訪れた経済危機。阪神大地震で破壊された神戸。 襲ってくる危機をその都度切り抜け、生き抜いてきた日本人。
最大の危機、平成不況も、過去に引きずられず、今をしっかり見つめ、生きている。
日本人が持つアイデンティティーが、困難に立ち向かうエネルギーになっている。

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