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感情を表に出さない日本人

■白山神社

正月、お天気が良かったこともあって、久しぶりに白山ひめ神社へ初詣に行きました。
金沢から車で三十分、鶴来町の白山神社が、全国各地にある「白山神社」の
本宮”であること。そして、 沖縄を除く四十六都道府県すべてに白山神社がある
ことを、1月1日の北国新聞で知りました。

岐阜県の414社をトップに、福井には341社、地元石川には276社もあるそうです。
これは驚きです。愛知県200社、新潟県196社と続き、全国に何と2,716社も
あるのです。これがもし会社だったら、すごい組織ですよね…

【吉村外喜雄のなんだかんだ 第13号】
~日本人のアイデンティティー~
「感情を表に出さない日本人」

謙遜・謙虚」 は日本人の美徳とされます。昨年の大相撲夏場所で、モンゴル出身の横綱”朝青龍”が、同じモンゴルの”旭鷲山” に負けた時にとった態度が、横綱の品位に欠けると、協会から厳重注意されたことは記憶に新しいですね。
モンゴル人には、戦意を掻き立てて戦っている最中に、高揚した「闘争心を抑えろ」と言われるのは、 納得できないことだろうと思うのです。

日本古来から伝わるスポーツや勝負ごとは、「喜怒哀楽」を人前で表さないのが、日本人の美徳であり、 礼儀とされてきました。囲碁の最高位を競って優勝した棋士が、敗れた相手を気遣って、喜びをかみ殺して平静を装います。
しかし、日本古来の武道も、国際化の度合いによつて、喜びや悲しみの出方が違ってきます。柔道の勝者は勝てば全身で喜び、 負ければ人前もはばからず悔し涙を流す。一方の剣道は、勝っても負けても選手は無表情を装い、礼儀正しいのです。

オリンピック予選でのバレーボール選手やプロゴルファーなど、外国から日本に入ってきたスポーツは、 プレー中に喜怒哀楽を全身で表すことはしょっちゅう。
見ている私達にまで伝わってきて、すがすがしいですね。

話が変わるが、昔から日本の男は「無駄口を叩かない」ことを美徳としてきました。 おしゃべりな男は、軽く見られたのです。
私の父の商いは、戦後良いときも悪い時もありました。人並みに株に手を出して大損したこともあったのです。そんな時、 顔色一つ変えず、愚痴もこぼさない、喜怒哀楽を表に出さない。父親の世代はおお方そうでした。 三船敏郎や東海林太郎の顔が浮かんできます。

同じ商店街の社長さんがやって来て、「近頃、商いはどうやいね…」と尋ねられると、父は 「お陰さまで…」 としか言いませんでした。
ある時、どうして「お陰さまで…」しか言わないのかと、聞いてみました。そうしたら、「儲からないと歎いたり、 愚痴を言って、儲けさせてくれるなら、なんぼでも言おう。言って得することが一つもないから言わない」。なるほど…。

誰が見ても儲かっているのに、謙遜して儲かっていない振りをしたり、儲かっていないのに、 儲かった振りをするのも心ぐるしい。問い掛けに「お陰さまで…」と応えるのが一番いいように思いました。

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